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最新の電気自動車、その魅力とは
2017.10.24

 電気自動車は、すでに珍しいものではない。日本のメーカーでも日産と三菱がコンパクトモデルをラインアップしているが、これまでは経済性の高さと環境に対する優しさは理解されながらも、実質200kmにも満たない短い航続距離、充電時間は長く、加えてバッテリーステーションが少ないことから、販売台数はメーカーの目標には遠く及ばないものであった。それでも、米国のベンチャー企業テスラが、2008年に電動スポーツモデルを製作すると、投資対象として魅力とパワフルな走りが注目を集めたりもした。

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 ヨーロッパでは、燃費性能だけに特化した退屈なハイブリッドカーよりも、クリーンでパワフルそして高燃費と三拍子揃った(いや、とされてきた)ディーゼルエンジンを搭載するクルマが長年トレンドだった。しかし、VWに端を発した排ガス制御装置の不正問題は、他メーカーにも広がり、ディーゼルエンジンに対する社会の信頼は失墜。新興国の自動車需要が急拡大していることもあって、地球温暖化の抑制には自動車の電動化は、選択肢のない必然となったといえる。さらに、複雑な内燃機関、トランスミッションが不要となる電動自動車へのシフトは、新興国にとっては、構成部品を大幅に削減できるだけに大きなチャンスとなる新しい産業でもあり、巨額の投資を集め官民一体となって一気に加速することが確実視されている。もしかすると20年後には、現代のビックスリーとされている自動車メーカーが衰退し、今はない巨大自動車メーカーが生まれ、世界のマーケットを独占しているかもしれない。

 電動自動車と共に創設されたテスラは、紆余曲折を繰り返しながらも、莫大な投資資金を背景に確実に成長を続けており、ニューモデルはウイークポイントの一つとされている航続距離を600kmまで伸ばしている。それでいて、主力モデルとなるスタイリッシュな高級大型セダンは、2,7秒で時速100km/hに達する俊足を発揮、米国ではバックオーダーを抱えるほどの人気だという。さらに、世界で最も売れているリーフを生産している日産も、航続距離をを向上させたニューモデルを投入。実用性を高めたことで、環境面での優位性を御旗にハイブリッドとは一線画す存在感を示しており、他の自動車メーカーも次々に量産モデルの販売計画を発表している。この背景には、イギリス、そしてフランス政府が、2040年をもって化石燃料を使用する自動車の販売に終止符を打つことを決め。ドイツは2030年、オランダ、ノルウェーにいたっては2025年には、新規登録できる自動車を、電動車両のみとすることを目指す政治的な動きが見られることにある。もちろん、現実的には超えなければならないハードルは高く、社会として電力供給の急激な上昇を満たせるかが鍵となるが、明確な目標が示されたことで、環境対策が急務となっている首都圏を中心に電動自動車の普及は加速するだろう。

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リアドアはガルウイング。開けるには、かなり高さが必要だ。

 街でテスラの姿を見掛ける機会が増えてきたが、日本で最も売れる外車マーケットとされているカテゴリーはSUVだが、テスラもここに新型車を投入。販売台数の倍増を目指しているとされており、話題となっているが、そのテスラ初のSUVに乗る機会があった。第一印象は、大柄なボディを感じさせない独特なエアロデザイン、そしてリアドアにガルウイングを採用していることにテスラらしさを見て取ることができる。ただ、全長5m、幅も2mを超えるので、都内を走らせてみると、その大きさを持て余すシーンは少なくない。また、広いキャビンは、ガラスエリアが広く取られていることもあって開放感満点ながら、インテリアの質感、シートの座り心地は同クラスの価格帯にあるメルセデスやBMWには及ばず、使用されている部品の一部は、他メーカーからOEM供給されていることもあって、どこか統一感が感じられないことも気になった。
 動力性能は、内燃機関とは異なるスケールが必要となるためか公表されてはいないが、モーター独特の低速トルクは強力だ。2.5トンを超える車体を軽々と加速させるので、タウンスピードでフラストレーションを感じることはない。ただ、静粛性は高いが、終始無機質な走りに示す電動車にドライバーの感情を揺らす鼓動らしきものは皆無。曲がる止まるといった基本性能に問題はないが、操縦を楽しむプラスアルファの要素がすべてにおいて希薄なのだ…これは、広い後席に乗ったほうがいいのではと、30分も運転しないうちに即移動。乗り心地のチェックをしてみることにした。
 スペースは十分だが、フリクションの大きいサスセッティング、そしてシートのクッションボリュームが薄いこともあって、普通の路面で走っていても、お尻にゴツゴツと突き上げが伝わってきて、乗り味は硬く感じた。SUVとしては大型サイズだ、ラグジュアリー性が求められると思うのだが、このポイントでも質感に乏しくセッティングの意図が見えなかった。

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メインディスプレイはタブレットのような感じ、もちろん操作はタッチパネル。


 だが、スタートラインに立ったばかりのテスラにも革新的な機能が搭載されており、それは制御システムに莫大な投資が行こなわれていることが裏付けとなっている。その一端に、自動運転に向けてのトライが垣間見えたり、先進性は大いに期待できるといえる。見方を変えれば、技術的な蓄積、設備、人材が豊富な大手自動車メーカーの製品と同じ価格帯にあるからといって、単純に比較するものは酷かもしれない。熟成には、もう少し時間が必要と考えるべきだろう。とはいえ、その革新的なシステムには未来のクルマを予見できる部分もある。それは、先日カリブ海で猛威を奮ったハリケーンの際に良くも悪くも実力を見せた。テスラ社は、ハリケーンから避難するすべての車両の航続距離を、期間限定で最上級モデルと同等まで引き上げたのだ。つまり、これまでの自動車とは異なり、全てではないだろうが、グレードの性能差は搭載機器の差ではなく、ソフトでコントロールされているということ。彼らは何時でもシステムのほとんどを遠隔操作できることを明かしたことになる。だが、これは少し心配でもある。というのも、車両は常にメーカーに監視、使用状況は把握されることになるからだ。さらに最も懸念すべき問題は、意図しないハッキングによる被害に巻き込まれるという不確定要素が存在することだ。

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エンジンがないので、ラゲージスペースは前後にたっぷり。

 経済成長、そして技術の革新と科学の進化は、一見人々の暮らしに役立っているように見えるが、加速度の急上昇は、地球環境の許容範囲を超え、自然の摂理を破壊する引き金となっている。誰もが当たり前のように使う自動車も、問題の解消に向け電動化へシフトしているが、発電するにも化石燃料を消費するので、どちらにしても効率の問題でしかなく、地球温暖化に対する根本的な解決には至らないともいわれているだけに、現実を手放しにはに喜べない。

 モータースポーツの世界でも、始まったばかりのフォーミュラーE(電動)世界選手権に自動車メーカーの注目が集まっており、ハイブリッドシステムを採用する耐久レースの世界選手権(ルマン24時間耐久レース等)からの鞍替えが相次いでいる。このクラスに、ハイブリッドの先駆者トヨタだけが取り残されてたことは、潮流の速さに取り残されてしまったようにも映る。もはやハイブリッドマシンによるレースは過去となりつつあり、F1もパワーユニットの変更を発表している。
 歴史あるビックイベントですら渦中に巻き込まれており、近い将来にはルマン、F1でも大手自動車メーカーが続々と参戦を表明している電気自動車に取って代わる日もそう遠くはないかもしれない。それは、モーターショーに出品しているコンセプトカーを見ても分かる。

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会場で目に止まったホンダクーペ、通勤用にいいなと(2017東京モーターショー)

 変化の激しい現代にあって、豊かな生活を追い求めるばかりに、歴史は短時間に次々と上書きされ、溢れる情報に歴史的な教訓は、人々の記憶から容易く消え去ってしまう傾向にあることが、私には気掛かりでならない。 確かに、時代の流れをいかに先取りできるかが、富を引き寄せる重要な要素となるだけに、流れを変えることは容易ではないが、繰り返されてきた悲劇が示すように、歴史の教訓を行動の規範としなければならない。今年の7月、国連で核兵器禁止条約が採択された。法的拘束力を持つ核軍縮関連の条約としては、20年ぶりの成立だという。国連加盟193カ国中、会議参加は129、採択は賛成122、反対1(オランダ)、棄権1(シンガポール)だった。しかし、核保有国とこれにぶら下がっている同盟国は不参加、オランダは唯一NATO加盟国として参加したが、国際規約すら守らない核保有国を相手に、拘束力を持たない条約など何の意味もないと言い放った。意図は、不参加を決めた同盟国の代表として意見を言いに出席したのだ。それよりも興味深かったのは、あえて棄権をしたシンガポールだった。資源もなく、軍隊といえるような組織を持たない東南アジアの小国は、経済発展で名を馳せているものの、政治、地政学的には極めて微妙な位置にあるだけに、勇気をもっての棄権投票といえる。大国に容易く屈しはしないことを、胸を張り示したのだ。

 驚くことに、議場には、歴史上唯一原爆が投下された日本代表の姿はなかった。権力者に諂う我が国の首相の判断だ。この日、図らずも席上にいた123カ国の代表にとって、日本のリーダーに対する評価は大きく下がった。その理由は、国の代表ではなくして最も注目を集めた一人の女性のスピーチでした。彼女の名前はサーロー節子さん。72年前に広島で被爆を経験した氏は、当時の惨状を語り継ぐ事ができる数少ない生き証人として、二度と同じ悲劇を繰返してはならないと訴えるために、85歳と旅も難しい高齢、不安定な健康状態をおして現在暮らしているカナダから遠路やってきていました。氏のスピーチは、わずか3分足らずでしたが、誰もが感銘を受けたのでしょう、身を投げ必死に核の廃絶を訴えるサーロー節子さんを失望させた日本政府の判断を、大罪と感じたからに他ありません。日本は、たとえ常任理事国の絶対的な権力を前に、その行動が結果に結びつかないと分かっていても、同盟国に批判されたとしても、歴史的使命として賛成に票を投じ、気概を示すべきだった。日本が凋落を尻目に、シンガポールが経済、国勢で日本を追い越し、発展を続けている理由は、一票の棄権に明らかに見て取ることができよう。

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本物には、心からのスタンディングオベーションが起こるものだ。

 車椅子で国連に現れ、会議場の入口で賛成票の投票を促す手紙を、日本をはじめ各国の代表に配るサーロー節子さんの姿が、今も脳裏から離れない。歴史に、そして先人に学ぶ。氏の姿には、かつての日本人が持っていた揺るぎない信念、行動力、そして勇気が残されていた。我々の世代は、地球環境を健全に保ち、次へ引き継ぐ義務があるのだ。日々の忙しさを言い訳に傍観するのをやめ、行動を起こさなければならない。多くの生命が暮らす地球をこれ以上汚さないために。

 その後、日本主導で提案された核拡散防止条約は、多くの国から不同意を突きつけられている。願わくば氏の存命中に核軍縮に大きな進展が訪れることを切に願う。